三国志における「赤壁の戦い」について










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歴史ブームが日本で沸き起こり、歴史に詳しい人や歴史に興味のある女性を「歴女」と呼ぶなど、近年注目を集めています。



日本以外の国にも当然歴史があるのですが、日本で歴史の分野で人気のある国の一つに中国があります。

中でも西暦200年前後の「三国志」の物語は、小説はもちろん、映画やドラマから漫画やアニメ、ゲームなどさまざまなメディアの題材になるなど、今現在も高い人気を誇っています。



今回はその三国志の物語の中でも、最も人気が高くそれのみを題材にして映画化もされています「赤壁の戦い」について書いていきたいと思います。



この戦いは、西暦208年に長江の赤壁という場所で起こりました。

三国志の三国とは、「魏」、「呉」、「蜀」の三国を指しますが、この三国の内の2国である「呉」と「蜀」が同盟を結び、火を使った計略を用いることで「魏」に勝利した戦いです。



この戦いでは、魏の軍師シュウユと蜀の軍師諸葛亮が互いに知恵を出して、魏の軍勢を打ち破ったことに注目が集まりますが、それに至るには様々な計略の積み重ねがありました。

この戦いは船での戦闘が主だったのですが、船は自由に動いたり方向を変えることができませんので、風向きによっては自分の行った火の計略に自分が嵌ってしまう危険性があります。



そこで、諸葛亮は、天候を読んで計略を行う日取りを決めるなど、様々な条件を整えて戦いに望んでいます。



なぜ、このシーンに人気が集まるのかと言いますと、当時強大な力を誇っていた「魏」を打ち破ったことにあります。

日本の歴史では、織田、徳川の連合軍が当時最強を誇った武田の騎馬軍団を破った「長篠の戦い」や、数の上で圧倒的劣勢だった織田信長が今川義元を破った「桶狭間の戦い」などが人気がありますが、「赤壁の戦い」もこれらと同様のストーリー展開が人気の理由の一つと言えます。




この後、魏の力が弱まることによって「天下三分の計」が成功し、物語は進みます。