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五丈原の戦いは、魏と蜀の戦いで、三国志でかなり有名です。 231年の第四次北伐において、蜀の諸葛亮は魏に勝利するものの、食料輸送に失敗し食料が尽きたため撤退せざるを得なくなります。 第一次北伐から連年軍を出撃させていたものの、この戦いを機に遠征を中止していましたが、234年2月に魏への遠征を再開させます。 魏は大軍を率いて五丈原に向かい、両軍は五丈原を望む地で対陣をし、諸葛亮は陽動作戦を用いましたが、魏の皇帝の曹叡が出陣を禁じていたため挑発には乗らなかったです。 5月に呉の皇帝孫権が蜀に呼応し魏への攻撃を開始したものの、合肥を防衛指揮していた満寵が堅守して耐えたり、奇襲攻撃で孫権を苦しめます。 曹叡自ら救援に赴くと聞くと、孫権は曹叡の寿春到着を待つ前に軍を撤退させます。 対戦は100日余り続き、8月に諸葛亮が病死したことで蜀軍は撤退をし、魏は撤退した蜀を追撃しようとしたものの、蜀は反撃の形勢を示したため慌てて軍を退かせます。 |