三国志における陳倉の戦いについて










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陳倉の戦いとは三国志の中の蜀と魏による陳倉で起こった戦いのことです。

当時、蜀の右将軍であった諸葛亮孔明が大軍を率いてカク昭、王生などの魏の寡兵達が防衛していた陳倉城を包囲しましたが結果的に落城させることはできませんでした。



詳しい経過を説明しますと諸葛亮は陳倉城を包囲し、衡車をはじめとする攻城の兵器を用いたり、侵入のためのトンネルを掘ったり、指揮官と同郷の人間を送って説得したりと様々な作戦を展開しましたが、相手は防衛に徹したために落城しませんでした。

魏は援軍として張コウら3万の兵を陳倉城に向かわせましたが、張コウは先立って様子を偵察に行った際城の防衛の様子と蜀軍の食料状況を見て援軍が到着する前に蜀は撤退すると予測しました。

そして実際に食料が尽きたため諸葛亮は撤退せざるをえませんでした。



このときの戦いで指揮官として動いていたのがカク昭でその功績により魏から列侯の爵位を与えられ、彼の名前は蜀に轟きそれ以後彼が陳倉城の防衛についている間は蜀軍は二度と陳倉城に攻め入ることはありませんでした。