三国志の「合肥の戦い」について










メニュー

◆始めに
三国志を分かりやすく解説
歴史について
名言

◆有名な戦い
街亭の戦い
三国以外の戦い
潼関の戦い
街亭の戦い
長坂の戦い
赤壁の戦い
合肥の戦い
三国志検定
官渡の戦い
五丈原の戦い
夷陵の戦い
陳倉の戦い
外交交渉

◆ウォールストリート三国志
M&A戦争
アメリカの日本企業買収
M&A投資家ピケンズ
日本のアメリカ企業買収
ソフトバンク孫さんM&A


トップページ
 



日本では、特に応仁の乱から徳川家康が天下統一を果たすまでのいわゆる戦国時代に人気がありますが、それと同等かそれ以上に中国の歴史も人気があります。



その人気ぶりは、小説や映画に多数の作品があることでも分かりますし、それに留まらず、漫画やアニメ、ゲームなどの題材として使用されていることから窺い知ることができます。

三国志ではさまざまな戦いがあり、その中で様々な名シーンやドラマが生まれていますが、今回はその中から「合肥の戦い」について取り上げてみたいと思います。

三国志で最も有名な戦いと言えば、西暦208年に劉備率いる蜀と孫権率いる呉が同盟を結び、曹操率いる魏を破った戦いがあります。



この戦いは長江上で行われましたが、その際に敗走する曹操を追って劉備と孫権の連合軍が合肥での戦いも合わせて、実に5度の戦いがあった場所です。



何故それほど戦いが起きたかと言いますと、ご存知の通り魏と呉は長江を挟んで領地を分け合っており、合肥はその長江に突き出た形でできた土地にあったため、そこを占領することが、お互いにとって戦争を有利に進めることができる重要な拠点だったからです。



最初の戦いは、200年に曹操軍と孫権軍が戦いましたが、防戦側の曹操軍が退ける形で終わります。



次が先述の赤壁の戦いの後のもので、曹操軍は敗走中ということもあり手痛い打撃を受けますが、占領されることはありませんでした。



その後も3度戦闘があり、いずれも魏軍(曹操側)が勝利しますが、それによって領地を拡大するなどの変化は起きず、膠着状態が続きます。




もし、魏がいずれかの戦闘でこの領地を取られていたとしたら、歴史の変化が起きていた可能性が高い歴史的に見ても非常に重要度の高い戦いの一つです。





更新情報:アメリカの日本企業買収と株